《開運陰陽師【賀茂じい】でごじゃる。》
今日も、毎日の出来事で活用できる
チョットしたヒントや知恵を賀茂じい視点で
あなたにお届け致しますじゃよ~
初めての方は、こちらをご覧下され~
わし、賀茂じいの秘密が
満載じゃよ!これじゃよ!
さてさて、諏訪大社・上社本宮
第六幕ですぞ~
諏訪神社の起源・・・!
国譲り神話の事を少し詳しく
話そうかの~
古事記・日本書紀と
違った側面を持つ記紀神話が
伝えるところではの、
天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立って、
武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、
【出雲を支配していた大国主命に国譲り】
(分かり易く言うとの、出雲王朝の支配権を譲渡するように)
迫ったということじゃの!
これに対して、
大国主の次男である建御名方命が、
国譲りに反対し、
武甕槌命と相撲をしたが負けてしまったらしく
建御名方命は諏訪まで逃れて来たという訳じゃの、
それで、その地で王国を築いたという事なんじゃの~
諏訪大社の起源は、ごうやら
この神話にあると伝えられておる様じゃよ!
また、本来のご祭神はの~
出雲系の建御名方ではなく
ミシャグチ神、
蛇神ソソウ神、
狩猟の神チカト神、
石木の神モレヤ神
などの諏訪地方の土着の神々であるとされて
おるらしいの~
しかし、諏訪にはそのときすでに
洩矢神(もれや=守矢神)という地主神がおったそうで、
建御名方命のこの地入ってくるのを防ごうと
戦ったんじゃそうじゃ。
が・・・、呪術合戦の末にの、洩矢神は力及ばず負けて
しまって家来になりっての~
建御名方命のこの地方開拓の良き
協力者になったじゃとか?
この洩矢氏(もれや=守矢)の
後裔(こうえい=子孫)はの~
その後長きに亘り神長官として諏訪明神に
仕えたんじゃそうじゃよ~~。
こんな説も~
日本に弥生式文化の中心はいくつもあったと
考えられておったらしくての~
大和や北九州地方はそのもっとも大きいところで
あった様じゃが、また建御名方命の生まれた
出雲もその一つの有力地であったようじゃの~
大国主命を中心とする出雲族の勢力は
日本海の海岸を東に伸びての~、
越(こし)とよばれた北陸地方を勢力範囲として、
それから東の方ヘカを伸ばして、
内の一派は姫川の渓谷をつたって
更に奥地へ開拓をすすめ信濃に入ったのでは
ないかと言う説じゃよ~
また、建御名方命とか諏訪明神という言葉は、
個人を指すのではなくて、諏訪に入ってきた
出雲族の首長のよび名であったとされる説の
有るんじゃよ~
諏訪に来た出雲族は、背後に奥深い山を
背負った守屋山麓の前宮のあたりに本拠を
すえた事が諏訪大社上社の起源ではないかと
されておるんじゃの~
*下社の話はこれからじゃよ~
お会いできるのを
楽しみにしておるからの~
感謝じゃよ!
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