《開運陰陽師【賀茂じい】でごじゃる。》
今日も、毎日の出来事で活用できる
チョットしたヒントや知恵を賀茂じい視点で
あなたにお届け致しますじゃよ~
初めての方は、こちらをご覧下され~
わし、賀茂じいの秘密が
満載じゃよ!これじゃよ!
さてさて、あっと言う間に
今週も週末?時の経つのがちょ~早く
感じられるんじゃが、皆さんは
如何かの?
今日は、先日のパワスポ巡り(愛宕神社)
第2弾として観て頂くとするかの~
そうじゃったの?
何故?出世の石段?
じゃったんじゃの~
石段上から見た、ところじゃが
やはり・・・・超・急勾配!!!
愛宕神社の「出世の石段」と呼ばれておるんじゃが、
その由来は講談でも有名な
「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎
(まがき・へいくろう)の故事にちなむそうじゃの!
時は寛永11年、べんべん!
徳川三代将軍、
家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺に
ご参詣のお帰りに、愛宕神社の下を通たんじゃそうじゃの~
折しも季節は春、べんべん!
愛宕山には源平の梅が満開で大変綺麗じゃったそうじゃの~
家光公は、その梅を目にされての、・・・
ほほう~ 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられ
たんじゃそうじゃが!
しかし愛宕山の石段はとても急勾配での~
歩いてのぼり降りをするのすら、
ちょっと勇気が必要なのに・・・・・
馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、
到底できそうに無かったんじゃとか!
下手すれば・・・よくて重傷、悪ければ命を落としてしまうと
家臣たちは、みな一様に下を向いておりますと・・・
べんべん!
家光公は、みるみる機嫌が悪くなり、もう少したてば、
怒りバクハツ!というその時にべんべん!!
どこからとも無く、
石段をパカッ、パカッ、パカッと登り始めた
者がおったそうじゃ!
さてさて、家光公?その者の顔に見覚えが無かったそうで?
「あの者は誰だ」!!
近習の臣にも知る者はなかったそうでの~
とその時!何処からか・・・
「おそれながら」口を開く者が・・・
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎
(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、
まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、
家光公に梅を献上された、ということなんじゃの~
目出度し!目出度し!・・・との~
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、
その名は一日にして全国にとどろいたと
伝えられておるほどじゃったとか!
平九朗が家光公に献上した言われる梅の木、
の故事にちなんで、
愛宕神社正面の坂(男坂)を
「出世の石段」と呼ぶ様になったとか?
今でも毎日多くの方が、出世に肖って
この男坂の出世の石段を登って神社にお参りされておる様じゃよ!
実の所!
実際に神社にみえた方は男坂を見て・・・・・
「こんな石段を馬が上れるわけがない。
曲垣平九郎の話は講談だからウソだろう」
と思われるのが殆どの様じゃがの~
何と驚き!!!
江戸以降にも男坂を馬で登り降りすることにトライをして、
成功している方が何人おるそうなんじゃの!
・明治15年・石川清馬(セイマ。宮城県出身)
・大正14年・岩木利夫(参謀本部馬丁)廃馬になる愛馬のために
最後の花道をつくった
・昭和57年・渡辺隆馬(ワタナベ リュウマ。スタントマン)
神社では、男坂を馬で上下するのに成功された方の絵や写真を見ることも出来るそうじゃよ!
曲垣平九郎が献上したと言われる梅の木は、
拝殿前の左手にあっての、大分老木じゃがの~
今でも、神社の四季を美しく彩っておるそうじゃよ!
さて、出世の石段の話しだけで
終了していまったのでの、
続きはまた後程の言うことでの!
それではまた、
お会いできるのを
楽しみにしておるからの~
感謝じゃよ!
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